top of page

​天宙清平修練苑HP

​コロナウィルスによる修練会

のご案内

​日本研修局へ

1971年7月12日、清平修錬院の原聖殿完工から出発した清平摂理は、天宙復帰のための基地を造ろうとされる真の父母様のみ旨を遂行してきた。清平摂理の第1段階は、1971年7月12日から1995年1月19日までの約24年間、真の父母様を中心に、世界平和統一家庭連合が主管する超教派・超宗教摂理、教会指導者教育、教会食口に対する原理・心情教育を専門的に担当してきた。
1960年代後半の数年間の精誠基盤の上に、清平に摂理の場を定められた真の父母様は、テント生活をされながら、周りの山に登って祈りを捧げられ、清平湖で釣りの精誠を尽くされた。そして1971年6月17日、原聖殿の建設が始まった。真の父母様の直接指揮のもと、悪天候の中でも建設作業が続き、基礎工事終了のわずか2週間後である7月12日に原聖殿が完工することによって、清平摂理が出発した。

清平の聖霊役事は1995年1月19日に始まった。それ以降、洪順愛・大母様は、地上と霊界を往来されながら、実体聖霊であられる真のお母様に代わって霊的役事をされるようになった。このような清平の聖霊役事は、地上の食口たちを生かし、成長させる母の役事である。特に悪霊分立の役事について、真のお父様は、「今、人々が悪霊たちに接して被害を受けているので…(中略)…悪霊たちを払いのけてあげるのです」(『真の父母経』11-3-2-18)と語られた。

真の父母様は、霊肉界の救援摂理のために、霊分立と先祖解怨、先祖祝福と共に、所願成就書(祈願書)の恩賜を下さった。真の父母様は2004年7月28日、清平に来られて「世界的に所願成就書を書いて浄火祭を実施するのですが、所願成就書に食口たちの願いを書くようにして、霊的な整理をしなければなりません」と語られた。このように、真の父母様が開いてくださった所願成就書によって、多くの食口たちが大きな恩恵を受けるようになり、そのような証しは今でも続いている。そして2005年4月9日(陰暦3.1)の第46回「真の父母の日」に、今まで実施してきた「浄火祭」の代わりに「還元祈願聖火式」という新たな名称を下賜してくださった。

真のお母様は、天地鮮鶴苑に対して大きな使命感を持っておられる。2015年に入り、天の父母様と真の父母様のみ旨である天宙復帰のための孝情天苑・清平摂理の具体的な構想に関するみ言をよく語るようになられた。清平の地に対する真の父母様の観点を次にように語られた。
「私たちの未来を見つめるならば、清平を大きく聖域化し、ないものがない所、あるべきものはある所に造りたいのです。」(2015.10.30. 天正宮博物館) 真のお母様は常に真のお父様が望まれたことを成そうとしておられるということがわかる。

40日修錬会の恩恵: 3回の夢をとおして悟った真の父母様の犠牲的な愛

[南大阪教区、Y.H.(6500家庭二世、20代、女性)]
「今回の孝情清平40日特別修錬会は、最高の兄弟姉妹と共に最高の恩恵を受けた40日期間でした。今回は、天の父母様、真の父母様の心情を悟りたいと思い、毎日一生懸命歩めば何か悟ることができるのではないかと思っていましたが、とても難しかったです。しかし、18日目、35日目、38日目にわかりやすい夢をとおして、天の父母様、真の父母様の心情を教えていただきました。
18日目の夢は、愛する母が霊界に行く夢でした。しかも突然でした。私は清平にいるのに、母が倒れ込んでいる姿が見えました。あまりにもショックだったのですが、その瞬間、私の兄弟姉妹がもっと心配になりました。もっと心を痛めたのではないかと。私は母から多くの愛をもらって育ったので、ずっと幸せだったのですが、姉は高校生の時から離れて住んでおり、兄も高校卒業から韓国におり、弟も高校卒業してから母と離れて暮らしていました。一番末の弟はずっと今も共に暮らしているため、悲しみにくれているのではないかと心配の気持ちが湧いてきました。そして、母が倒れ横たわっている祈祷室にいた様子が見えたのですが、祈祷室を真っ暗にして、ろうそくを灯し、その横で父がろうそくの火を向いていました。悲しみの背中、今までにない姿を見て、両親は仲良くないと思っていましたが、父は母のことを愛し続けていたことを知り、その姿をとおして真のお母様が見えてきました。私はまだ相手もいないため、夫婦の愛、父母の愛がわかりませんが、この夢をとおして、夫婦の愛が唯一である理由を知りましたし、真のお母様の心情の一部に触れることができました。
35日目に見た2つ目の夢も、イエス様、真のお父様、天の父母様、真のお母様の心情を少し私にわかりやすく理解できる範囲で教わりました。その夢は、何人かの修錬生たちと山奥にあるおいしい食事ができるところにいきました。しかし私はなぜか19時から仕事に行かないといけなくて、せわしない気持ちでずっといました。修錬生のリーダーに報告して、19時に帰れるようにしたいと伝えました。車の運転ができる人は一人しかおらず、その人がいないと私は絶対に遅刻してしまいます。リーダーが私の事情を話してくださったのですが、料理が出てきたとき、その時点で18時10分になっていました。おいしそうな料理ばかりでしたが、私は一分でも早く出たい気持ちでいました。山の中だったため、全員が車に乗らないと帰ることができない状況でした。リーダーともう一人の人が心配して、『料理は出てきてしまったけど、帰ってあげましょう』と言うのですが、残っている人たちはずっと不満を言い始めました。私は何も言えず、皆を信じるしかありませんでした。しかし、最終的に全員食べず、しぶしぶ会計もしてくれましたが、その時すでに18時半をまわっていました。その時点で、もう間に合わないことがわかりましたが、皆の心に感謝して出発しました。しかし、その職場のタイムカードは一秒でも遅れたら一時間遅れたことと同じ意味になってしまうものだったため、いくら私が人の二倍三倍の速さで精一杯仕事をしても、その時間はどれだけ苦労しても戻ってこないということを悟りました。もどかしい心情でした。悔しくてたまりませんでしたが、二人の人がヨシュアとカレブのように感じ、私の心情と事情を読み取り、感じ取り、必死になってくれたその行動は嬉しかったです。摂理というものは、時の時に行われるため、私たちは中心者と心を一つにしていかなければならないことを悟りました。
38日目に3つ目の夢を見ました。とても胸が痛む夢でした。修錬を受けている中で、そこには真のお父様、孝進様、興進様も参加されておりました。壁にスパイが銃を構えていて、私と目が合いました。私は『危ない。スパイが…逃げてください』と言ったとたん、私を目がけて銃を撃ってきました。私の膝に銃弾が当たって皮膚の中に食い込みました。その後、食口たちもあわてて逃げたり隠れたりしました。私も何が起きたかわからず、ずっと銃声が止まらず、必死に身を隠していました。銃声が止まったので、おそるおそる立ち上がると、目の前に興進様、孝進様、真のお父様が打たれ、倒れていらっしゃいました。しかし、血は一切出ていませんでした。その後、スパイが私の前に来て、私は怯えていましたが、『その銃を私に下さい』というと素直に渡してきました。その銃を床に向けて発砲すると銃弾は一つも入っていませんでした。そんな夢を見ました。興進様、孝進様、真のお父様は命をかけてサタンの攻撃を受け、肉体を捧げてまでもサタンが持っている全ての銃弾が無くなるまで、これ以上手が出せないところまで、全て捧げて来られたことを悟りました。
もう一つ悟ったことがあります。私はずっと心情を悟るような40日を過ごしたいと祈ってきました。真の父母様の心臓をうち抜いた銃弾を見て、真の父母様は心情を何度も打たれても越えていかれたと思うと、申し訳ない気持ちになりました。
今回、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」という言葉がずっと私の耳に残っていました。この夢はとても意味のあるものとして絶対信仰、絶対愛、絶対服従ができる講師になれるよう努力します。」 

bottom of page